|
ブラザー・サン シスター・ムーン
|

|
| ジャンル: | DVD
|
| セールスランク: | 3484 位
|
| 発送可能時期: | 通常24時間以内に発送
|
| 参考価格: | ¥ 1,500 (税込)
|
ご購入前のご注意
|
当ウェブサイトはAmazonウェブサービスにより実現されております。
商品の取引契約および商品に関する情報は全てAmazon.co.jpの取り扱いとなります。
|
|
1973年の公開当時は評判が高かったこの映画は、音楽をドノヴァンが担当しており、神を敬い自然を愛す敬虔な修道士アッシジの聖フランチェスコをテーマにしている。が、出来上がった作品は、別物になっている。フランコ・ゼフィレッリ監督(『エンドレス・ラブ』)は聖フランチェスコの理想を追求し、愛と平和についても描こうとしたが、結局は緩慢としてしまい、テーマを一貫させることができず、それ以降、彼はモダンな作品に戻ることになった。グレアム・フォークナーの演技も印象に残りにくく、ドノヴァンの音楽も一級とはいえない。(Tom Keogh, Amazon.com)
いつの時代にも衝撃的な作品になる映画
ゼッフィレッリの「ロミオとジュリエット」とともに、もっとも愛される映画。
当時、かたやアメリカのニューシネマがあり、鬱々たる世相を反映する映画も多かった。
そんななかで、思春期、青春期にこの映画に出逢った人は、衝撃に近いつよい感動を覚えた人が多かった。
だから年齢を経て、再び鑑賞する度に、この映画にあるビュア、無垢、そのものに、自分がどんなふうに向き合えるか、いつも少し怖いほどだ。
この映画は当時のフラワーチルドレン、ヒッピーたちが民衆としてエキストラで参加していると聞いたことがあり、注意して見れば、フランチェスコたちによって建て直されるちいさな教会に集まる長い髪の青年、少女たちが、その時代の現代青年の顔としても映されているようで、それはゼッフィレッリが古い過去の話としてではなく、金権的で、暴力と失望に果てのない人間の世界、その現代に問いかけるメッセージのつもりだったことの、ひとつのあらわれでもあるだろう。
この映画の中で、禁欲的な生活は他者に強いられるものではなく、自らの自由な意志であると描かれるかのエピソードなども、そういう意味でも物語に現実性を感じさせている。
アシジの自然の映像の美しさとともに、ドノバンの音楽はこの映画では切り離せないほどの魅力になっている。美しい祈念碑的な作品だ。
感謝の気持ちを・・
何回見ても胸が熱くなる映画です。
聖フランシスコと聖クララ
当時の権威主義におちいった教会の中で、
鳥のように、野の花のように
神に与えられた命を
精一杯生きることを望みました。
フランシスコ修道会の流れは、
カトリックの中でも清貧を尊びます。
今の世の中、自然破壊が問題となっていますが、
改めて 自然の中で生きる喜びと感謝の気持ちを
思い出したいものです。
また、人間の弱さの中に
改めて同じような権威主義におちいることの
恐ろしさを、思い起こしたいと思います。
神に感謝・・
アッシジから再び
フランチェスコの物語。
ドノバンが歌う詩は切なく甘く苦い。
だがこれはお伽噺。
東から来た旅人に尋ねた
戦は終ったのか
旅人はただ西を示した
崩れた城壁の下で詩を歌った。
ゼッフィレッリの描いたサン・フランチェスコ伝 2
これからDVDを鑑賞したい方に印象的なシーンの幾つかを紹介したい。サン・フランチェスコは二十代前半に二回に渡って騎馬隊に加わり出陣した。一回目は宿敵ペルージャとの戦役で大敗を帰し、彼は捕虜として牢獄に繋がれ病に倒れた。だが当時の交渉によって病気になった捕虜は身代金を積むことによって釈放された。こうして彼は一年後に帰郷したのだった。二回目の十字軍としての出陣の逸話は映画では省略されている。瀕死の病から快復した彼は、目覚めると窓の外に一匹の雀を見る。その雀に導かれるように高い屋根の瓦の上をおぼつかない足取りで進んでいく。そして雀を捕らえ、口づけし、解き放った時の彼の目は将来彼が生きるべき世界に向けられていて、もはや地上にはない。大空に飛翔する鳥の群れに合わせて屋根の上で子供のようにはしゃぐフランチェスコと慌てふためく両親、呆れ果てて見上げる世間の人々が対照的だ。ある日、同志たちと托鉢の最中に彼はふと通りかかった生家の中庭に入る。つい数ヶ月前まで何の不自由も無く両親と暮らしていたその家に。降りしきる雨の中、水溜りに跪いて唱える。『赦す人が祝福されるように。その人こそ赦されるのだから。めでたきは安らぎをもたらす人。その人こそ主のひいきにあずかるのだから。』この場面で流れている音楽は、彼が病床に臥していた時、母親が歌ってくれた子守唄だ。彼の出家は毅然たるものだったが、常に彼を理解しようと努めた母親には郷愁の念を禁じえなかったのかも知れない。誰からも施しを受けることができず去っていく彼らの後ろの家の扉が開く。フランチェスコが振り返ると、そこには嘗て心を寄せていたキアーラがひと塊のパンを差し出して立っている。大粒の雨に打たれながら、パンを受けるフランチェスコの至福の表情とキアーラの彼へのやりきれない同情は神々しいばかりだ。
なぜ?
なぜ?なぜなんです?
見てください。空の鳥を。
播かず刈らず、取り入れることもしない。
だが、神が養い給う。
いくら思い煩っても、寿命が延びますか?背が高くなりますか?
なぜ富を思うのです?
野のユリを見てください。
労せず、紡ぎもせず、
しかも、ソロモンの栄華も及ばぬ、その美しさ!
なぜ何を食べ、何を飲み、何を着るかと思い悩むのです?
それは、私達の求めることではありません。
宝を地に積むのは、無益です。
虫と錆が損ない、盗賊がそれを奪う。
宝を捨て、心に生きるのです。
フランチェスコが教皇に問い質すこのシーンに、この映画のすべてが集約されています。
そして教皇はフランチェスコの前に跪き、その足に口付けを・・・
富と地位を求めることが大多数の人の価値観となってしまっている現代、心洗われる映画です。
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
アシジの丘―聖フランチェスコの愛と光 アシジの聖フランシスコ (平凡社ライブラリー) アッシジのフランチェスコ ロミオとジュリエット アシジの聖フランシスコの小さき花 (聖母文庫)
|
|
|